【離九】第2回玄會レポート

年に一度の九天玄氣組の総会「玄會」を8月16日、17日の両日で開催しました。その時のレポートを二つの視点からお届けします。

九天玄氣組は編集学校の門を潜った学衆のなかでも、九州に縁のある方々で構成されていますが、九州に在住している方、九州出身だけども九州を離れて暮らしている方、親のどちらかが九州出身である方などさまざまです。組では九州在住の組員を「軸九(じくう)」、九州を離れている方を「離九(りくう)」と位置づけ、互いに連動しつつ活動しています。

今回のレポートでは、「軸九」と「離九」のそれぞれの組員さんにレポートしていただきました。「軸九」は大分市在住の河野恵さん、「離九」はお母さんの里が大分県佐伯市でご自身は千葉にお住まいの松永真由美さんです。松永さんは会計事務所にお勤めで、編集学校では守・破・離のコースすべてクリアなさった数寄者です。

では、はじめに大分は20年ぶりという「離九」代表の松永さんのレポートからお届けします。どうやら意外な出会いもあったようですよ…!

離九:松永真由美

(プロローグ)おそらく1歳10ヶ月ちがいの妹が生まれるときにも母の郷里である大分の佐伯に来ていたと思いますが、記憶には残っておらず・・・(後日、6カ月頃と判明)。小2、小6は夏休みに1ヶ月近く祖父母の家で過ごたことは覚えています。小2のときは、いとこ6、7人で祖父母宅の池をプールがわりにして泳いでいました。そこには小さな蟹がたくさんいました。

あと中2、大学1年も祖母のところに来ていました。叔母が宮崎、伯父が佐伯、いとこが大分と長崎におります。大学4年時は友人達と卒業旅行が九州一周でした。

 5年ぶりの九州、約20年ぶりの大分県入り。久しぶりなのだけれど、違和感なくとけこめる気がするのが九州です。日田の山と川どちらもが視界に入る風景に、記憶の中の大分県佐伯市がよみがえります。
 集合の日の朝、一人博多駅周辺を散策したときの蝉の声の大音量は千葉では聞けないものです。解散後の、宇佐から小倉までのソニックに初めて乗りました。(昔は走っていなかった特急なので、)時の経過を感じました。


<豊州神仏縁起の巻レポート> 
 
 *一日目*

 8月16日(土)10時 JR博多駅筑紫口集合。
 ここに集まったのは神奈川、東京、千葉、鹿児島、北九州、福岡、久留米から8名。すぐに内倉さん作の、素敵な日程表が配られる。初参加、初対面の方もあった(かくいうレポーターも初参加)が、舵星連(かじぼしれん)の方々のさりげない声かけに、すぐにうちとけていく。10名乗りのレンタカーにて日田に向けて出発。(鹿児島から参加の小川さんが運転。)

 昼食場所の「ごうや亭」にて、熊本、大分からの4名が合流。自己紹介の後、日田の案内役さつきさんより、日田で生まれた画家について松岡校長が書かれた『華厳なる宇治山哲平』のコピーが配布される。この頃からあいにくの豪雨。


日田の「ごうや亭」に集合。初顔あわせとなった組員も多く緊張気味


 雨が降っていなかったら、歩いて一軒一軒みてまわりたい、豆田町のお店が連なる。雨なので、車で咸宜園(かんぎえん)へ。江戸時代 廣瀬淡窓が開いた私塾。咸宜園内の秋風庵にて、施設の方がとても流暢に説明をしてくださった。日本の教育の原点として、かつては文部大臣が必ず訪れていたとのこと。
 九天のメンバーが昨年おとずれたときと「遠思楼」の場所がかわっていた。江戸時代末期の咸宜園に復元をする一環のためであった。

 廣瀬資料館」を経て、宇治山哲平のふすま絵のある大超寺へ。ここで長崎よりまさとしさん合流。えんま様祭りの用意が並んでいる。ふすま絵は、対象のようでいて、対象でなく、なんともいえない魅力がある。極楽浄土の絵、8月のこの期間のみ展示されるという地獄絵もみることができた。


大超寺のふすま絵は宇治山哲平作。宇治山はこの寺の檀家であった

 筌ノ口温泉で疲れが取れる。出発する際に車のトラブル発生。見知らぬ方々に助けていただき事なきを得る。九州の人の温かさ。日本も捨てたもんじゃない。

 九重の寺床(てらどこ)の家到着。たなひろさん、上原さん合流。定期総会後、夕食。八山さんが神仏習合をテーマになすづくしの料理を用意してくださる。なす料理のバリエーションがこんなにもあるとは・・・。テオさんからのお酒もいただきました。

 九天夜座は、まさとしさんが今回のテーマ「豊州神仏縁起」について講義。1989年、宇佐神宮について松岡校長、五木寛之氏、田中優子氏らが参拝後、話をされているNHK番組のビデオをみる。ビデオの中で、宇佐神宮の正式参拝で聞こえてくる太鼓のリズムは日本のものとは思えないダイナミックさがあると語っていらしたのが印象に残っている。


九天夜座では中村般若による神仏講義。メモするサコちゃん

 講義も、和光同塵とは大陸という光りをやわらげて同じにみていくことではないか、宇佐神宮のなしとげたことは、新羅の影響が強いのではないか、など興味深い話が続く。フリータイム時間になっても、言霊、神仏習合、九天玄氣組の今後など、話は夜中まで続く・・・。


 *二日目*

正式参拝の時だけ晴天。朱色が凛と際立っていた


 おなかに優しい玄米粥の朝食後、8:20出発。
 10時に宇佐神宮へ到着。イクエちゃん、合流。見事な蓮をみながら歩き、10時30分より正式参拝。太鼓の音、舞、等を体験する。おごそかで、背中がすっくと伸びるような気持ちになる。
 参拝後、雨が降ってくる。びしょぬれになりながら昼食の場所へ移動。食事休憩が終わったときには晴れていた。


うしろすがたも時雨れてゆくか…全身濡れ鼠


 歩いて、廃仏毀釈のさい宇佐神宮の菱形池に沈められた弥靱寺講堂本尊の弥靱菩薩がある極楽寺へ。極楽寺の本尊であった「阿弥陀如来立像」は宇佐神宮第弐堂の本尊でもあった。

 再び歩いて、溝口ひょうたん本舗にてひょうたん絵付け。
 宇佐ひょうたんは、宇佐神宮の八幡神、応神天皇の母君神功皇后が、三韓征伐の折にお生まれになったばかりの応神天皇に宇佐の地にとれる良質の“おちちあめ”をお乳の代わりにひょうたんの中に入れてお与えになったことから、ひょうたんの栽培が盛んになったとされ、八幡神とのかかわりから生まれているそうだ。
 社長の溝口さんから「ひょうたんは何に使える?」と編集稽古のようなお話をうかがい、九天玄氣組の事務所として、今年6月に瓢箪座が開かれたこと、宇佐、神仏習合、と様々なコトがつながってくる。九天のメンバーは各自思い思いの作品を作る。


お好みのひょうたんを選んで筆を入れる。真剣です

 第2回玄曾としてみんなで向かう最後の場となる大楽寺へ。高野山真言宗のお寺であり、後醍醐天皇勅願寺でもある。木造弥勒仏三尊像、四天王像が安置されている本堂で般若心経をとなえた後、住職よりお話をうかがう。宇佐の地は新羅の地と景色が似ていたので新羅の人が多く住んでいたのではないか、など夜座での話と重なるお話も出てくる。


大楽寺はかつて宇佐八幡宮の菩提寺でもあった


 九天の強さは、テーマに対して、真正面から、知識を共有しようとし、動けることなのだなあと実感した初参加の玄曾となった。お茶、農業など広がっていきそうな予感。

 皆様、何から何までありがとうございました。充実の二日間でした。


玄會の〆は意外にも南北朝。このあと組員は帰路につく


<後日談>
ところで、玄曾で宇治山さんの作品をみながらずっと気になっていたことがありました。

私は子供の頃から宇治山さんの作品を上野でみてきたのではなかろうか・・・と。なつかしい気がしておりました。先ほどそのなぞが解けたのでご報告します。

徒歩5分ほどにある実家に寄ったところ、○△□の絵が玄関に。ずっとあったのですが、あらためて名前をみてみると宇治山さんのサインが・・・。で、母に尋ねてみると、亡くなった伯父(母の姉の夫)の先生が宇治山さんだったとのこと。

伯父は60歳頃まで関西に住み、会社の仕事のかたわら、油絵をかいて、上野の国画会に毎年出品しておりました。そのときに宇治山さんの作品もいつもあったとのこと。伯父の家のふすまに河童の絵があったそうですが、それも宇治山さんの作品で、伯母は引っ越した際に日田の美術館に寄付した話まで聞けました。

東京都庭園美術館での美術展にも両親は足を運んでおりました。宇治山さんにどのように弟子入りしたのかまではわかりませんでしたが、遠いご縁がありました。

今は横浜に住んでいる伯母に話を聞いてみたいと思っています。

 松永真由美

2008年09月11日

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