神無月夜会 日田散策篇

日田市隈町の八坂神社前に佇むJr.


組の有志と日田・九重を周遊した。一泊二日の気まま旅。一日目は日田をめぐる。町は千年あかりと天領まつりで賑わっていた。

今回は特別に、私の友人Oちゃんにナビをお願いした。Oちゃんはいわゆる団塊世代のおいちゃんだ。“本物”を求めて世界中を旅し続け、常に問題提起し、必要とあらば闘いを恐れぬ人である。Oちゃんにとって日田は庭のようなもの。町のキーマン連中とは長年の付き合いで、なにかコトがあると相談を持ちかけられるという。このOちゃんの案内のもと、祭りの賑わいをすりぬけるように日田を歩いた。

行く先はOちゃん次第。行き当たりばったりの散策である。
はじめに立ち寄ったのは、亀山公園でも豆田町でもなく、隈町エリアにある八坂神社だった(豆田と隈町は車で10分ほど離れている)。向かい側に、どでかい提灯がいくつも釣り下がる日田祇園会館があるにも関わらず、それよりなにより、見てほしいものがあると案内されたのが八坂神社の「叢雲(むらくも)の松」だった。


「わあ!これは…」
境内の左脇へ足を踏み入れたとたん、一行は声をあげた。目の前に現れたのは、臥竜のような枝振りが見事な松。樹齢約300年。幹の最大周は約2m、樹高は3mにも及ぶ。地上約1mの高さから東西左右に横に分かれて這っており、東股の枝先は延長20m余り、西股は延長15m余りになるという。全長約35mのこの松は、社殿を半周するほどのスケールなのだ。自然の織りなす造形美には、確かに神の気配を感じずにはいられない。


樹齢約300年の「叢雲の松」。重力を無視して四方八方ににょきにょき


ちょっぴりタブーを破って、ご神木に抱きつく。人によってたとえは違うだろうが、私は父の胸に頬を埋めているような安堵感を覚えた。あたたかく優しさに満ちている。抱きついて四、五分じっと動かない組員もいる。「この松を見ることができただけでも、日田に来てよかったと思った」。そうつぶやいた組員もいた。


画家もこの松だけは描けないとお手上げなのだとか。写真にもおさまりきれませぬ


ここは日田の「聖なる場所」だろう。皆、この松の側から去りがたいのか、動こうとしない。すると、Oちゃんはこのご神木の前で苦笑いして(この苦笑いがOちゃんのシグナル)。「この見事な松をだれも見向きもしない。物見遊山的な旅ばかりはびこっているけれど、その土地の歴史や伝統、風土に触れなければ本当の旅の醍醐味は味わえないんですよ。何ごとも歴史に学ばなければ」。そういえば、観光客らしき人とは一人もあわなかったぞ。皆、豆田町へ一直線なのかな。

松の前から去った後でも叢雲の松のぬくもりが胸に染み込んで離れない。またこの松に会いに来よう。



八坂神社を参拝する一行


その後、原次郎左衛門の味噌醤油蔵「マルハラ醤油」、その裏にある庭をめぐり(ラムネのビー玉が敷石に散りばめられていた)、十五代目の原社長と久しぶりの対面を果たし、豆田町へ向った。

豆田町は今、日田市内で最も賑わいを見せているエリアだ。お土産屋さんや旧家を開放した資料館などもコンパクトにまとまって、ちょっとした観光にはもってこい。しかし町並みや通りの雰囲気も、どこかで見たような風景だ。日田らしさはどこにあるのか。日田らしさって何? 小京都なの? …やたらと日田の行く先が気になるのは、自分の中に日田の血が色濃く流れているせいなのか。

そうして日田めぐりのラストは咸宜園。今回のお目当てはここだ。当日は咸宜園の敷地内もほのかに祭りモードだったけれど、やはりここは文化財として坐するべきだ。物見遊山的な場所でも、流行に寄りかかる場所でもないことを再確認し、Oちゃんと別れて一路、九重へ向った。(つづく)


裏庭に散らばるラムネのビー玉を4、5個ポケットに忍ばせるJr.

2007年10月24日

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