白彼岸の朝に


 
 天上の 紅の色どる 白彼岸

自宅近くの道に咲いていた白彼岸花(白花曼珠沙華)。白といっても純白ではなく、ほのかに紅がさしている。深紅の彼岸花とは違い、やさしい表情で風に揺れる。この白彼岸花は、赤の彼岸花とショウキランとのかけ合わせである。九州ではよく見かけるが、本州ではまだ珍しいようだ。

※画像の背景に映っている緑は白彼岸花のものではありません。念のため。

◆彼岸花のルーツを辿る

さて、前回のブログに中国渡来の花と書いたが、いつ、どのようにたどり着いたのか、いくつか説があるようだ。

(1) 自然分布説
日本列島とユーラシア大陸が陸続きだった200万年前、球根の分球で増えつづけた彼岸花は徐々に生息範囲を東進し、日本列島へたどりついたという説。

(2)海流漂着説
海流に乗ってやってきたという説(無人の孤島に彼岸花がみられることから有力な説とされているが、球根は塩に弱いので、果たしてどうか?)

(3)人為分布説(史前帰化植物説)
彼岸花の分布は西日本中心で、自生北限は秋田県・山形県・岩手県。山の中には見られず、主に人間の生活領域に分布している。何らかの目的のために、人間の手によって運搬されて植えられた。おそらく稲作農耕の始まる前の縄文時代にでんぷんを得るために、大陸から持ち込まれたのではないか、という説。

(4) 人為分布説(救荒〜薬草渡来説)
彼岸花が古典に登場するのが室町時代以降であり、それ以前の典籍には全く見られないことが、この説の根拠となっている。鎌倉時代に「救荒植物」(作物が不作のときのために植えられたもの)として中国から持ち込まれ、農耕地帯を中心に広がったこと。また「曼珠沙華」と呼ばれるように、寺院での布教により広がっていたと推定されている。
ただし江戸時代にサツマイモが広まって、彼岸花はその食料としての役目を終えてしまった。米が取れない年には、彼岸花を掘り上げて非常食としたことが、言い伝えなどで知られている。「タコイモ」などという異名も、そのあたりのあるのだろうか。


・・・というように、ルーツには諸説あるが、なかでも寺院での布教に絡んでいるというのが興味深い視点である。そして毒を有する植物で知られている彼岸花だが、その一方では命をつなぐ救いの植物だったというのも意外だった。まさか「でんぷん」を確保するための食糧だったとは…。含有している毒も水にとけやすい性質があるようで、水に晒すと良質のでんぷんが取れるのだそう。手順を間違えさえしなければ、食することができるはず(どなたか食べ方をご存知でしたら教えてください)。

◆中国と日本の彼岸花の違い

中国と日本の彼岸花では、決定的な違いがあるようだ。それは「染色体」である。中国産の彼岸花(コヒガンバナ)は染色体が二倍体であり、種はできる。しかし日本の彼岸花は染色体が三倍体で、花は咲いても種はできない。生殖細胞の染色体の数が合わない日本の彼岸花は正常な受精ができないために、もっぱら分球で増やすということだ。

ちょっと欠けてる日本の彼岸花。その欠けた部分にこそ、日本人ははかなさを感じたのだろうか。千を超える呼び名から分かるように(下記のURLをご覧あれ)、そのイメージの翼を大きく広げた要因には、このような脆弱性も関わっていたのではないかと思う。やはり「編集は不足から生まれる」(by知の編集術)ということに通ずるのだろうか。

いってみれば、彼岸花は「編集の花」なのだ。その起点が九州にあるということならば、放っておけるはずもなく…。

*彼岸花の別名*
http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/sizen/higan_name.html


それにしても彼岸花、食と毒、生と死、赤と白などの対が際立つ。どことなく私の持っているワインのイメージに近いかな。(なのでタイトル、しれっと変更。今後は『彼岸花』で参ります)。


参考URL
http://cbg.jp/nursery/takara/higan/higan.html

2007年09月25日

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