真行寺君枝という存在学

だいたい松岡正剛さんと組む女性というのは、美人であることはいうまでもなく、シャープでどこかミステリアスだ。それでもどこか少女のまんま大きくなったような女性が多いように思う。山口小夜子さんもそうだし、漫画家の萩尾望都さんもそうなのだろう。昨年「連塾」に参加した時、思いがけなく山口小夜子さんとすれ違ったけれど、すれ違う瞬間は超スローモーションだった。「斜め45度の緊張」、今でも鮮明に覚えている。すれ違った後、手に汗がうっすらにじんでいた。

男性に憧れる女ゴコロと、女性が女性に憧れを抱くココロは異質なのか。決して同一化は望まないけれど(私はね)、その人の持つ世界に近づきたいという衝動にかられるのはなぜか。

真行寺君枝という女優をはじめて知ったのは、2004年7月の「千夜千冊達成ブックパーティー」の時。ゲストとして壇上にあがった真行寺さんを見て、女優の気迫と色香とともに、どこか壊れそうな存在の脆さを感じていた。壇上では千夜千冊の一節をひとり朗読するというものだったが、今度はその脆さとは裏腹な、観客を射抜くような声の力強さに驚いたことを覚えている。それ以降、いつもどこか、アタマの隅で静かにこちらを観ているような、そんな存在感を抱いていた。

このブックパーティー以来、ずっとアタマの中に坐っていた彼女のことをめくってみようと、ネットを調べてみると、すぐに彼女のホームページにたどり着いた。


●真行寺君枝
「不死なるもの〜宇宙開闢からソクラテスへの連結」
http://www.kimieshingyoji.com/index.html


「不死なるもの〜宇宙開闢からソクラテスへの連結」というタイトルを目にして、アタマの中の真行寺君枝像が急浮上した。引き込まれるままサイトに入っていけば、アラアラここにも「松岡正剛」。詞書を寄せていたようだ。「生命の発祥に本気であって、思索の発動に本気なのである。エロスとタナトスの重畳にも本気、西哲のうねりを辿るにも本気なのだ」と彼女のことを紹介している。

本文を読みすすめながら、哲学はこんなにも妖艶であったかと唸るばかり。それ以上に、真行寺君枝の世界の謎めきに、さらに興味がかき立てられてしまうのだ(文献一覧も掲載されていたが、これだけで目がくらむ)。


「哲学する女」ではなく「女する哲学」。これを「女の存在学」というのだろうか。


来月6月16日、連志連衆會主催の「連塾2」が東京・築地本願寺で開催される。テーマは「牡丹に唐獅子」。杉浦康平、黛まどか、森村泰昌らとともに、真行寺君枝の名が連なっている。ナビゲーターはもちろん松岡正剛。開催は一ヶ月先だというのに、どうも落ち着かない。

2007年05月17日

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