古代九州への呟き・その2

タカノさんに、入口遺跡の話を振られてしまいました。長崎県人としては、看過できませんね~(笑。

入口遺跡とは、2003年に長崎県の平戸で発見された、旧石器時代の遺跡です。

旧石器時代というのは、寒い時期が過ぎ、海面が上がり、だいたい今の日本列島の形が出来上がり、住んでいる人々が縄文時代に入る1万2000年~1万3000年ほど前の、それよりも前、の時代です。

いまの研究では、日本列島に住んでいた旧石器遺跡はだいたい3万年前、とされています。1990年代に東北地方で20万年前、30万年前、40万年前、50万年前と、それまでの常識を覆すほど古い遺跡が次々と発見されたのですが、それが「神の手」による捏造だった、という事件はご記憶にあるかと思います。

それ以後、さすがにみんな古い旧石器遺跡については慎重になっているのですが、入口遺跡はひょっとすると10万年前から遡るか、という可能性を秘めた、久々に盛り上がる遺跡です。今後の調査に注目ですね。


今回は邪馬台国の話をしようかと思っていたのですが、考古時代の話を振られると反応せざるをえないですね。ちょっと寄り道します。とはいえ、単に先史時代に反応したのではつまらないので、九州のそもそもの成り立ちをお話しましょう。

九州は、九天を抱く島です。険しい山々が天を区切り、この島の中に、個性豊かな小宇宙をいくつも抱えることになりました。

ではなぜ、こんなに山がちなのか?それはもちろん、火山活動が活発だったからです。おかげさまで、温泉も豊かですね。

この火山活動は、当たり前ですが、九州が今の九州島となる約1万3000年前よりも遥かに前から続いています。それもかなり激しく活動しているのですが、心に留めておいていただきたいのは、桜島と、阿蘇山の二つの大噴火です。この二つの噴火が、今の九州の地形の基盤を作った。

桜島の噴火といえば、鳥居が噴石で埋もれてしまった大正3年の大噴火(桜島は島だったが、この噴火で大隈半島とつながった)が有名ですが、それよりも激しいのは約2万5000年前の大噴火です。その筋では「姶良(あいら)大噴火」と呼ばれる噴火です。

どれぐらいの噴火だったかというと、ちょっと今の鹿児島湾(錦江湾)を想像してみてください。


桜島よりも北側が入り江のようになっていますが、この北側の入り江がまるまる、火山のカルデラなんです。つまり、いまの桜島は、姶良大噴火の大カルデラの南端にある噴火口のひとつなんですね。こんな巨大な噴火口から火山灰やら噴石やらがどんどん噴出した。桜島はその活動を受け継いで、火山灰を噴出し続けました。火山灰は全九州で確認できます。霧島連峰の山がちな地形も、南九州一円を覆うシラス台地もこの噴火をはじめとする一連の活動できたんですね。


そしてもうひとつ忘れていけないのが、阿蘇山。

阿蘇山は約30万年前から約9万年前にかけて、4回の大噴火を起こしたことがわかっているのですが、なかでも9万年前の噴火は巨大なものでした。

どれぐらい巨大だったかというと、阿蘇山は、外輪山と呼ばれるカルデラの盆地があって、そのなかに現在活動中の火山(中岳)があります。で、9万年前の噴火は、この外輪山の内側そのものが噴火口になっていたというとてつもないものです。いまは阿蘇市や南阿蘇市、高森町になっているエリア、東西18キロ×南北25キロのエリアから、火を噴き噴煙をあげていた!

このときに大火砕流が起こり、九州中央部から北部を覆いつくし、一部は山口県まで届いています。火山灰は日本はもちろん、朝鮮半島にも相当の厚さで積もっているようです。

阿蘇から九重、筑豊、大分は竹田、南は高千穂から霧島に至る山岳台地を作ったのはこのときの噴火ですね。その台地を、那珂川水系が削ってできたのが福岡平野であるし、筑後川水系をはじめとする河川が削ってつくったのが筑後平野、ということになります。


さて、かくもたくさん火山の話をしたのは、火山灰が形成した地層が、考古学的に非常に明快な指標になるからなんです。

戦前までは、日本人が列島で生活を始めたのは約1万年前の縄文時代から、といわれていました。(明治時代、お雇い外国人のモースが、東京の大森海岸で“貝塚”を研究して以来です。)ところがそれを覆したのが群馬県岩宿遺跡の発掘でした。相沢忠洋という在野の研究者が古い石器を発掘したのですが、それが関東ローム層、すなわち、1万~3万ほど前に起きた富士山の大噴火で形成された地層から発掘されたことにより、年代が確定されたのです。

冒頭の平戸の入口遺跡は、上記の桜島の姶良大噴火よりも古いだろう、というところまではわかっています。つまりざっと3万年よりは古いだろう。ただそれ以前、どこまで古いかはいま検討されているところです。

というわけで、今後九州の考古学についても、関心を持っていただければな、と思います。

いつになるかわかりませんが、次回はいよいよ邪馬台国へ突っ込んで行くか!

2007年04月06日

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comments

生半可なボクの知識を、補完していただきありがたい。
古代九州って、どこからどこまで?
ボクの中では決着がつかんと、落ち着かんとです。
ボクもつぶやきたいなぁ。

  • タカノタツヤ
  • 2007年04月06日 22:55
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