古代九州について
平若衆・Snobbistマサトシさんのエントリータイトルがイカしていたので、カテゴリータイトルにしました。
古代九州編集本格稼働前の、みなさんの意見を集積する場として、活用しましょう。
さて、古代九州に関する「軸」は平若衆・Snobbistさんのエントリーで、ぶっといのが立ちました。今の「九州」が「九州」たり得たのは、大陸や海流やら地政学的な要因と、古代に九州島で起こった事象が重なって、それがずずずずっと、尾を引いて現在に至っているからだと、ボクも考えています。
クロニクルをブログでやろうぜっ。
と、ボクがラウンジで筆を滑らせてしまったのは、
(1)登録さえしていただければ、誰もがクロニクルページの記述を書き加えることができ、それが即座に、ページに反映されるから
(2)原本管理をする必要がなく、またインターネットを見る環境さえあれば、特殊なソフトウェアなどが必要ないから
という、システム的な利点を活かしつつ、組員みんなが興味できる場にできるんじゃないかな、という思い込みがあったからです。
「謎」の古代九州は、ナゾだけに関心がある方にとってはソソルテーマだとは思いますが、さほど興味がない方にとっては、敷居の高いテーマでもあると思います。
「うぅー、難しいなぁ」ということで、発言の機会が無くなってしまうのは、本当に「惜しい」とボクは考えているのです。
例えば、稲作伝播のルート。
稲作は、人為的に栽培されないと育ちにくい作物ですので、そこには稲を作って食べる人も同時に移動してきていることになります。と、おカタクまとめてしまってもいいのですが…。
実は、稲作ルートのとあるルートは、豚骨ラーメンが伝わったルートと同じだった!
なんてことを、日本ラーメン党な方は提唱し、九州には「古代」と「今」をつなぐ道があったのだぁ。という話にしたら、九天玄氣な説得力を持たせることができるのではないかな、と思うんです。
奄美大島や沖縄から南九州へいたる「道」は江戸時代にカライモが伝わったルートです。今、焼酎がおいしく飲めるのは、九州のおかげなんだぞ! そして、この「道」は縄文時代から人が行き来していたんだぞ。という言い方も可能なわけです。
さて、ボクが何を言おうとしているのかというと。
古代九州のクロニクルは、時代とか年代に区切って、担当を決めて事象を集めるのではなく、よってたかってグリグリと、いろんな観点を持ち寄って作業をした方が、面白いことが発見できるのではないかと、考えているということです。
クロニクルの記述の方法は、平若衆・Snobbistさんも書いていますが、古代は文献に残っている記録はほとんどありません。古代の範囲を広げると、日本の正史(日本書紀など)や文献も登場しますが、それもこと「九州」に関しては、本当のトコロはどうだったんだか? という記述も多い(とボクは感じています)。
そこで、ボクはクロニクルには、文献だけでなく、考古学的な年号も入れていきたいな。そこに私情や思い込みを重ねてもいいんじゃないかな。と考えています。
例えば、
約12〜8万年前 長崎県入口遺跡から旧石器時代中期と推定される石器が発見された
のように。実際には入口遺跡に関しては、まだまだ議論続行中であり、この年代推定が正しいかどうかは分かりません。が、九州再西端の平戸に、日本最古級の遺跡があるかもしれない、というのは意味があるような気がするんです。
また、身近な遺跡を調べると、食べ物など現在に続く細ーい糸が見つかったりして。
クロニクル記述の方法は、平若衆・Snobbistさんが書いたやり方しかありません。破受講経験者は、コツは分かりかと思います。みんなでガツンと共有しましょう。
といいつつ、筆をおきます。
長いつぶやきでした。ブツブツブツ。
- by タカノタツヤ
- at 00:03
2007年03月29日

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